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    カテゴリ:【地域】 > _近畿



    1 窓際政策秘書改め窓際被告 ★ :2019/05/01(水) 19:37:26.57 ID:wxI4ewZL9.net

    令和と同時に「丹波篠山市」誕生 「地方にこそ幸せありとPR」
    住民投票経て市名変更/兵庫・丹波篠山市

     新元号「令和」が幕を開けた1日、兵庫県の内陸部にあり、お節料理の定番、
    黒大豆の産地として有名な篠山市が、「丹波篠山市」へと市名を変更した。
    旧国名「丹波」を冠する近隣市との区別をつけることや、農産物の「丹波篠山ブランド」を
    守ることなどが主な理由で、合併に関係なく市名が変わることは非常に珍しいケース。
    同日、記念式典が開かれ、関係者や市民らが新元号と共に新たなまちのスタートを
    祝った。

     同市役所前では、日本六古窯の一つ「丹波焼」で「丹波篠山市役所」と書かれた
    銘板の序幕セレモニーが開かれた。その後、記念式典が開かれており、式典後には
    国史跡の篠山城跡を囲んで市民ら約3000人が踊る伝統の「デカンショ総踊り」が
    催された。

     酒井隆明市長は、「今日の日が迎えられたことを改めてうれしく思う。令和の
    新しい時代と、丹波篠山の時代が一緒になってスタートしていける。都会よりも
    地方にこそ幸せがあるということを市民みんなでPRしていき、これからも
    このまちをつないでいけるようにがんばっていきたい」と述べた。

     1999年、平成の合併第一号として誕生した篠山市。黒大豆の産地であり、
    「丹波焼」の里。また、イノシシ肉を使った「ぼたん鍋」や民謡「デカンショ節」の
    まちとしても知られる。旧丹波国の一部であり、これまでから通称「丹波篠山」を
    使用してきた。

     ところが、04年、隣接する同県氷上郡が合併して、旧国名を冠した「丹波市」
    となったことを機に、「丹波篠山」が「丹波市と篠山市」と誤解されるケースが
    出てきたこと、さらにはブランドとしての「丹波篠山」を守る目的から、
    2017年2月以降、商工会や観光協会、JAなどの団体が、市に対して「丹波篠山市」
    への変更要望書を提出した。

     一方で、「地名は篠山、愛称は丹波篠山でいいではないか」などと、
    現状維持を望む市民も多く、「問題」に発展した。

     市は18年4月、市名変更した場合の経済効果額を「52億円」と発表するなど、
    変更を進める中、住民投票を求める動きが起こり、11月、「市名を丹波篠山市に
    するか否か」をテーマに同市初の住民投票が実施された。

     結果、変更に賛成が1万3646票となり、反対の1万518票を上回り、元号変更に
    合わせた市名変更が決まった。


    丹波新聞(5/1(水) 9:38配信)
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190501-00010005-tanba-l28


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    (出典 2.bp.blogspot.com)



    1 アルカリ性寝屋川市民 ★ :2018/12/01(土) 22:01:03.82 ID:CAP_USER.net

     2015年11月30日に93歳で亡くなった漫画家、水木しげるさん。「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」など、数多くの名作を世に送り出した巨星が、若かりし頃の一時期、兵庫県の内陸部にある篠山市で暮らしていたことはあまり知られていない。野原で遊び、虫だけでなく、妖怪らしきものにまで出会ったという縁深い場所。篠山は、水木さんをはぐくんだ「原点」の一つともいえる。

     鳥取県境港市出身の水木さん。16歳の時、父が生命保険会社の篠山支店長となったことをきっかけに移り住み、約2年間、篠山で生活しながら、大阪の「精華美術学院」に通っていたことが、自伝小説「ほんまにオレはアホやろか」(新潮文庫)や「私はゲゲゲ」(角川文庫)に記されている。

     「ほんまに―」の中で水木さんは、篠山のことを、「なにしろ、デカンショ節に、丹波篠山の山奥と歌われたぐらいで、デカンショ節の時代よりは開けているとはいっても、山奥にかわりない」と表現。学校へ通うには、当時の国鉄篠山口駅と篠山城下町を結んでいた「軽便鉄道」(現在は廃線)に乗るため、「日本にこんな鉄道がよくあったものだと思われるぐらい、小さな汽車に乗って二、三十分も行くと、国鉄篠山口という乗り換え駅に着く。それから、また大阪まで乗るのだからたいへんなのだ」と書いている。

     また学校に行かず、「自習」と称して山に入り、植物や虫をスケッチしたり、「どうしたわけか蛇が多い」「林の中で猪に出会った」などという記述もある。

    「得体のしれないモノの群れ」「おとろし」にも出会う
     地元紙として気になるのが、「篠山のどこで生活していたか」だが、父親の勤務先が生命保険会社であったことや、軽便鉄道に乗っていたことから、現在の城下町地区のどこかである可能性は高いが、詳しい住所についてはわかっていない。

     鉄道乗車駅も書かれていないが、当時の軽便鉄道の時刻表によれば、篠山町駅―篠山口間は約12分で運行しており、水木さんの感覚「二、三十分」と照らし合わせると、少なくとも始発の篠山町駅か、「(ベンチで寝ていて)汽車は誰もいないと思って通過してしまった」という記述から、一つ先の魚の棚駅から乗車した可能性もあると考えられる。

     自伝の中で注目すべき点は、「神社の裏山に得体のしれないモノが群れをなしている気配を感じた」「木陰で小人の群れに出会った」などというエピソード。

     「水木しげるの憑物百怪」(小学館文庫)では、妖怪「おとろし」に出会ったとの記述もあり、「場所は兵庫県篠山の山中の祠だった」としていることから、篠山でも妖怪とのつながりがあったよう。ちなみに、「おとろし」に出会ったのは、篠山市東浜谷の篠山産業高校の裏手にある「盃山」と伝わっている。

     また、篠山で描いた昆虫は、「天昆童画集」と題しているほか、篠山川らしき川を描いた風景画も残っている。テーマ曲「ゲゲゲの鬼太郎」のカップリング曲「カランコロンのうた」には、「ゲゲゲの鬼太郎 たたえる虫たち」という一節があり、この虫たちが天昆童画集を描いた篠山の虫のことを指しているとすれば、篠山市民にとっては感慨深い。

     鬼籍に入った水木さん。「おとろし」をはじめとする妖怪たちとも戯れておられるのだろうか。

     水木さんが篠山で描いた絵や自伝の一部などは、インターネットサイト「ネットミュージアム兵庫文学館」で見ることができる。



    yahooニュース(丹波新聞) 12/1(土) 9:30配信
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181201-00010000-tanba-l28


    【【兵庫・篠山市】 水木しげるさん、妖怪遭遇の「丹波篠山」 16歳から2年間生活】の続きを読む

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